
こういうだましをやってのける、そこに大いなるだましがあることに気づいていますか? これは、WEDGE 2008 9月号です。なかに世界制覇を狙う原子力ビジネスの課題は とあります。おどろおどろです。
一番コストが高い原発です。まして地球温暖化に貢献している原発は、{発電時}の温排水で海を7度も暖めて生態系を狂わせています。そして、{発電時}にはco2はださないが、それを作るまでにどれほどの電力を使い、CO2を排出してきているか、ほんと笑わせます、目前しかみえない方々ですか?!? だましです!!!! こんなに 割の合わない原発が、安全のためにコストをかけれるはずがない。ただ、原発の膨大な予算の鼻薬をかがされて利権にむらがって、わたしたち庶民に世界一高い電気料金を押し付けている。
そして、発電時(だけでなく)には、CO2より恐い・・・人類にとって未来永劫恐い・・・恐怖の放射能を出すのです。そして、その何万年にもわたろうかという恐怖の核廃棄物の安全な処理は、まだ誰もできない・・・ただ、核のゴミを貯めるばかり・・・・日本はもう満杯・・・モンゴルに捨てにいこうかと・・断られた。だのに、まだまだ原発つづけようとしている人たちがいる・・・なんて信じられない。
アメリカは、スリーマイルの事故以来、新しい原発を作っていない。だのに、輸出をしている・・・日本にどっさりこ。 欠陥商品のマーク2が このたび40年を経て、事故ってしまった。 何千度にもなる圧力容器の底が穴だらけだってさ・・・ガジュマルのごとくパイプが垂れ下がっている・・・・信じられない、この地震国に本なのに、正力松太郎・岸信介・中曽根康弘・田中角栄・・・この政治家より、まっとうな学者たちや地元の人たちは、しっかりこの大変に危険な 原発に はなから反対している。 それを押し進めて来た、軍国日本の亡霊は、政府の犬の御用学者たち、それをすすめるコマ犬たちがまだまだテレビにいすわってわめいている。 中国は脅威だ~~~~、自衛のためにも9条はいらない~~~~~、原発は核兵器を作るのに必要だ、各抑止力が必要だ~~~~~、アメリカに守ってもらえるから日米安保によりかかるしかない~~~~
と前世紀の遺物・化石のような方々が、まだテレビで吠えている様子にちかごろワンセグとかで巷のテレビを垣間見ていると、悪いのはジャーナリズムをなくしてしまったマスゴミなんだなと、つくづく思われる。
NO、NO! NO!!! 9条こそが一番の抑止力であり、これからの日本の旗印です。 これまでのアメリカのやり口をみてもわかるでしょう。強盗団アメリカの言いなりになっているなさけない政治家たちを舞台からおろしましょう。 そして、原発反対、TPP反対で、日本は9条の旗のもとに、エコ一番・平和一番の技術大国日本として行きて行くしかないだろう。この世界に垂れ流している膨大な放射能のことを考えてみても、このままの危ない日本を子孫に渡せやしない、今、心ある大人たちは反省し動き出している。
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朝になってまた出てきました。ビラがパラパラ・・・それでも、半分もないわね。とくに中学・高校のは全然だから、はるばる台風の中、新宮市まで行った。前日から行ってて良かった当日は、電車がストップで歌手がこれなくて、そこではじめ弾き歌いをした。大宇陀町のすばらしい自然の中の屋の屋のかわいい公民館で、生徒たちがあと群がってきました。あとで手紙も貰ったりと、大阪の南の方の私立学園、田んぼの中に大きなビルってかんじ、中の先生が熱心・・・もっといろいろたくさん、平和を願っている先生方がどれほどたくさんいらっしゃるか、そして、生徒にどうやって伝えようかと心をくだいておられる様子に頭が下がりました。
播磨町は、南の島めぐりのコンサートから帰ってすぐでした。地震と原発で世の中はまだ騒然で風邪気味なわたしでした。そんな中で震災へのカンパが5万円以上集まったそうでした。神戸の震災のときもそうでしたが、世界中から集まったカンパの明瞭な行く先をと思います。日本は闇にうごめく・・・ってのが、政財界ありすぎです。政治は庶民の一人一人のためのものであるはずです。米英でなく、ヨーロッパ・北欧に学ぶべきです。中身を問わずに自分たちにつごうのよい数字だけ切り取ってだまそうとしている政治に失望しています。 もうわたしたちはだまされない。

この屋久島のコンサート・・・は南の島ツァー 最終でした。
新年は、毎度の新年会であちこち^^ 2月には被爆者のおばあさま 森田節子さんと関空からフランスへ向う。 パリで2泊 ゆっくり観光・・・暖かかかったのでバスの上からしないめぐり・・・。あと、ビアリッツへ向かい。アングレット市の図書館で、「被爆の夕べ」森田さんは、計10回の講演をした。わたしもパロジャのお城のホールでも平和コンサートをした。帰りは、オレリーわりでフィレンツェまで飛行機、フィレンツェ観光もして、TGVでローマへ、ローマでもパスの上から市内めぐり。そして、ヘルシンキ周りで関空へ。ヘルシンキからビジネスクラスにシフトできてよかったよ。^^ そういえば、4月には台湾にも行った。台湾の国立芸大で交流会。そういえば、台北で大規模な反原発デモをしていた。
3.12の県立沖縄博物館・美術館ホールでのコンサート(http://yukichan.cc/okinawa/okinawa2011.pdf HPにプログラムとエッセイあります )の最中、土曜日の午後3時すぎ、フクシマ第一が爆発したのでした。それから、石垣島でコンサート2つ、それから又沖縄の「てんてん」でサロンコンサート。みなさん3.11にもかかわらずたくさん来てくださいました。ただ、本土から親戚がたくさん逃げて来て行けない!! って人もいました。わたしも娘に先に屋久島に避難しておきなさいと言ったのに、ぎりぎり屋久島で会って、一諸に演奏会をしました。それから一諸に神戸に帰りました。

もず昇平さんは わたしの母校で戦中歌謡にみられる平和を願う母の気持ちをさまざまな解説で講義なさっておられるそうだ。
「もずが枯れ木で」サトウハチロー、も満州の凍てついた大地で三八銃で人を撃たねばならない兄さの頬の涙が凍っているだろう。庶民が軍馬にも劣るとされる兵隊として遠い異国の地で苦しんでいる、留守を守る母の辛さも又それ以上に辛いだろう・・・。戦争を経た もずさんならではの、エスプリとペーソスにあふれた戦中歌謡の慈愛にあふれる解説に、庶民の悲しさとたくましさを思わされた。そして、今フクシマでは同様に・・・・・あいも変わらぬ国家の独善に・・・上のものは何一つ責任わとろうとせず、逃げてばかり、下のわたしたちにそして未来の子供たちに自分たちの尻拭いをさせて平気でおれる、その無神経に、昔と同様の傲慢さと鈍感さを感じてしまう。 現代の棄民政策、しかし、今はもう昔と違うのだという事をわたしたちはしっかり態度で表明するしかない。でないとまたもや、戦争へとひきずりこまれてしまう、それこそ日本はスッカラカンで沈没するしかなくなってしまうだろう。こんな非道い為政者はあってはならない。 今こそ、ほんもののの民主主義を!!!
お正月からの広島の被爆新春ピアノコンサートをひかえていたのに、沖縄からのピースウォークにつきあって、年末からずっと沖縄で2週間すごしてしまった。海勢頭さんとであえたのが最高!!! 沖縄各地でも一諸にコンサートをして、

池辺幸恵 平和のピアニストです。
2009年末28日から沖縄の池辺の姉宅に順次10人ほどが集まり、
大晦日は全員で知念市の個人宅に泊まりました。
2010年元旦 未明からみなで玉城城趾に登りご来光を仰ぎ、
次に斎場御多気(セファーウタキ 獄←これに山冠)それからボートにのって、
「神の島」久高島から新年のピースウォークが始まりました。
2日の宿泊地 八重瀬町のtuttiホールでは、池辺のピアノコンサートもあって、
海勢頭さんには過分な褒め言葉をいただきました。
かつて沖縄在住の亡くなられた岡部伊都子さんに聞いてほしかった、
さくら幻想曲で涙が出てきたとも言ってくださいました。
4日の那覇 船員会館での新年会・壮行会も、沖縄の壮壮たるメンバーで、
大変に実のある内容の濃い集まりになりました。
みなさんのお話の内容はビビッドなものでした。
海勢頭さんには「内地の人とはじめて気持ちが通じた」と言っていただけました。
海勢頭さんと女性の唄「サン」・・・、まよなかしんやさん、知花正一さんの唄
高良勉さんの沖縄の元旦の唄、わたしの峠三吉さんの詩によるアメイジンググレイスと 、
井手ほう子さん手作りのごちそうもともに、とても華やかでにぎやかな会になりました。
二次会も江田さん泉田さん、鉾山さんたちと「土」で金城実さんを囲んで議論がもりあがりました。
金城実さんに「同志よ」と言ってもらいました。^^
6日の 伊波(いは)宜野湾市長さんによる話は、40分にも及び、質疑応答と写真撮影とで、
一時間もお時間をとってしまいました。 それから、普天間基地一周しました。
池辺は歩けないので江田・永瀬さんたちとワゴンで一緒して、後を追う形になって、
基地の第一ゲートに行き、車止めにとめてみなを捜しに歩き出すと、
前の観光客もわたしたちも、撮っただろうとデジカメやビデオを米兵にとりあげられて
一悶着ありました。結局は兵隊さんのトップの方が出て来て、結局その場で返してもらえたのですが、
パトカーも何台も来て大変な騒ぎになりました。^^;;
とまあ、歩けない後方支援の池辺ですが、合間に垣間見たピースウォークのトピックでした。

池辺幸恵 平和のピアニストです。
2009年末28日から沖縄の池辺の姉宅に順次10人ほどが集まり、
大晦日は全員で知念市の個人宅に泊まりました。
2010年元旦 未明からみなで玉城城趾に登りご来光を仰ぎ、
次に斎場御多気(セファーウタキ 獄←これに山冠)それからボートにのって、
「神の島」久高島から新年のピースウォークが始まりました。
2日の宿泊地 八重瀬町のtuttiホールでは、池辺のピアノコンサートもあって、
海勢頭さんには過分な褒め言葉をいただきました。
かつて沖縄在住の亡くなられた岡部伊都子さんに聞いてほしかった、
さくら幻想曲で涙が出てきたとも言ってくださいました。
4日の那覇 船員会館での新年会・壮行会も、沖縄の壮壮たるメンバーで、
大変に実のある内容の濃い集まりになりました。
みなさんのお話の内容はビビッドなものでした。
海勢頭さんには「内地の人とはじめて気持ちが通じた」と言っていただけました。
海勢頭さんと女性の唄「サン」・・・、まよなかしんやさん、知花正一さんの唄
高良勉さんの沖縄の元旦の唄、わたしの峠三吉さんの詩によるアメイジンググレイスと 、
井手ほう子さん手作りのごちそうもともに、とても華やかでにぎやかな会になりました。
二次会も江田さん泉田さん、鉾山さんたちと「土」で金城実さんを囲んで議論がもりあがりました。
金城実さんに「同志よ」と言ってもらいました。^^
6日の 伊波(いは)宜野湾市長さんによる話は、40分にも及び、質疑応答と写真撮影とで、
一時間もお時間をとってしまいました。 それから、普天間基地一周しました。
池辺は歩けないので江田・永瀬さんたちとワゴンで一緒して、後を追う形になって、
基地の第一ゲートに行き、車止めにとめてみなを捜しに歩き出すと、
前の観光客もわたしたちも、撮っただろうとデジカメやビデオを米兵にとりあげられて
一悶着ありました。結局は兵隊さんのトップの方が出て来て、結局その場で返してもらえたのですが、
パトカーも何台も来て大変な騒ぎになりました。^^;;
とまあ、歩けない後方支援の池辺ですが、合間に垣間見たピースウォークのトピックでした。