池辺幸惠 平和のピアニスト 2023.3.21
/Users/peace.yukichan/Desktop/スクリーンショット 2023-03-26 18.48.02.png1950年12月生 広島県福山市北吉津町出身・樹徳小・広島大学付属福山中・大阪教育大付属高校池田校舎卒業。大阪芸術大学音楽部ピアノ科全額免除生・総代で卒業。大阪教育大学大学院修士修了・ 大阪芸術大学に講師で勤務。関西音大新人コンサート・日本演奏連盟推薦第14 回ヤマハ Jリサイタル、 毎日ホール・サンケイホール・いづみホール等で、大阪フィルやニューフィルハーモニック大阪等と“ピアノ協奏曲を協演。 河原浩、北野完一、横井和子、ジョルジュ・アゴナシュヌに師事
1973年日本演奏連盟推薦第14 回ヤマハ J.リサイタル 1974年リストのピアコン手塚幸紀大フィル
1981年子育てのため大学を退職、東京に転居下北沢の日本CI協会桜沢如一の食養の理論と実践
1983年尼崎市でピアノ教師ヤマハグレード講師、関西フリースクール研究会会長で活躍
1985年屋久島の農園で4人目を自然出産 2年間六甲山頂で暮らす。1987年茨木市山手台で2反の畑を耕しながら、共同保育・自然食のコピーライター。この時分 純粋意識の離脱体験をし閃光を放って爆発至福の歓喜に満たされる「暮らしと給食をみなおす会」をたちあげ学校給食改善の取り組み
1989年神戸市灘区篠原に転居 ”本物を感じる会”を始める。小川茂年さんの手技手当て操法・母子のセミナー・本音を語り合う会、食養・陰陽五行・エゴギョウ・気質人間学セミナー等々開催
1991年6月~7月 家族で一ヶ月半かけてモーターホームでアメリカ横断旅行
1995(H7) 1.17 阪神淡路大震災!に遭遇、すぐ震災ボランティアを初め、4月からは灘区震災ボランティア「ひまわりネットワーク」を立ち上げ、3年間代表として震災コーディネーターで活躍
1996・97年 仮設の子ら10人と北海道岩見沢のスキーツアー/夏は20人車トラックバスをつらねて北海道に交流ツアー
199810月~. 一人でヨーロッパ ユーレイルパスでBP旅行 独・墺・スイス・伊・西・仏・英を巡る
1999ピアノを再開し昔の大学の生徒たちが戻ってきた「陰陽リラックス奏法」で講演と実技指導
2001年 第4 回長江杯国際音楽コンクール1位なし2 位
2002年 第10 回アジアクラシックコンクール銀賞
2002年 第3回 中国音楽コンクール専門の部で金賞、神戸文化振興財団賞等受賞。
中国各地をコーラスと一緒に演奏旅行、 杭州音楽院・寧波市民会館で中国のピアノ曲を弾く。
2005年9月17日 いずみホールでショパンのピアノコンツェルト。指揮は橋本徹雄 N.F.Osaka
小林正也教授ときくちゆみさんの「野党共闘をめざす市民の風」のスタッフとして東京で活躍
2006.9.11 きくちゆみさんとニューヨークに行き9.11真相究明のデモと会合に参加。
2007年9月23日 9条の会「結成3周年の集い」 小森陽一さんと映像とピアノ尼崎市で
2007年11月3日 改装された中之島の公会堂で 憲法の日に辻井喬さんと映像とピアノ演奏
2008年4月西宮市大谷記念美術館で被爆平和コンサート・静岡県掛川市・熱海市でも2箇所・堺市西文化会館・明石生涯学習センターホール・草津人権協議会・新宮市の高校・広島折り鶴の祈りコンサート・奄美大島・広島YMCAホール・・・・平和コンサート広島・京都で海瀬頭豊さんと
2010年正月 海勢頭豊さんと沖縄久高島から初日の出を拝む。沖縄から平和行進に参加
2011年2月 仏のアングレット市で被曝の語り部森田節子さんが10回の語り、私は映像とピアノ
2011年3月12日~18日日本に帰って鹿児島と沖縄と宮古島で平和コンサートをしている時に、2011.3.11の福島原発事故がおきた!!!東京の娘とは屋久島のコンサートで合流した
2011年9月4日 高岡市生涯学習センターホールで「街- 過去・現在、そして未来へ」
2011年4月福島郡山で3.11の震災ボランティア・4月末にも京都の老人と一緒に被災地を見て回る
2012年4月 初訪朝し<4月春の国際親善芸術祭典>に出演 ディプロマ賞とクリスタルトロフィーを獲得
2012年8月8日 故郷福山市の市民平和のつどい「第58回市民平和大会」で平和コンサート。
2012年8/31~9月<アリラン大公演>の鑑賞のため再訪朝
2013年2月 堺市のサンスクエアホールで、92歳の小笠原美都子さんのチャリティーショー
2013年7月26日~30韓国に朝鮮戦争休止祝賀ツアー服部良一さん代表日韓友好シンポジウム
2013年8月1日~10日イスタンブールからウィーンへ東京メンネルコールの一員で参加。
2014年2月~ 日本チュチェ思想研究会代表団で訪朝、光明星節に出席。
2014年7.21. 3年目に教会の震災ボランティアに同乗して釜石に行き当時の写真や話を聞く
2014年8月 阪大講堂で石巻の震災以後の映像とピアノ、森松明希子さん デバラシさんとコラボ 2014年11.23宝塚ハートフル合唱団県立芸術劇場大ホール「ガイア永遠の輝き」に参加
2015年8.2 ~11 宝塚ハートフル合唱団で私も含む団員15人と被爆の語り部2人と、NYからワシントンDC.8/6ワシントン大学のリサイタルホールで広島・長崎戦後70周年平和記念式典コンサート8/9 ホワイトハウス前のライヴはNHKTVも撮影にきた。計6カ所で公演した。
2015年10月 朝鮮の10.10の労働党設立70周年の記念式典に出席
2016年1月10日「新春芸術と交流の夕べ」沖縄でディナーショー
2016年7月22日 治安維持法犠牲者国家賠償同盟7回総会で平和のコンサート・三木清追悼の歌 2017年8月31日~9月17日 夫とヨーロッパ旅行 ポーランド・独・蘭・仏・ヘルシンキ 2017年11月15日 “戦争を許さない女のつどい”で石川康宏さんとコラボ 生田文化会館 2018年1月14日ピアノ寄贈記念新春コンサート 合唱団池辺眞衣の歌池辺幸惠のピアノで2回公演 2018年3月2日 Spring Concert ポーランドからアンジェイ・ピクル教授を迎えて公演
2018年4月1日 春休みコンサートマリンバ.インドからの太鼓生徒たちの歌とピアノ金和美さん熱唱 2018年4月 朝鮮通信使ユネスコ世界記憶遺産登録記念シンポジウムでピアノ演奏と特別寄稿 2018年12月5日~6日 韓国大邱市での宝塚友好親善ツアーに参加 2019年2月 メキシコのチュチェ研究会全国大会に参加 ラテンの芸術歴史文化にふれる 2019年3月8日 女性デーに女性会議で平和コンサート公演、三宮勤労会館
2019年9月7日「小笠原美都子さんを偲ぶ会」300人出席 大阪のホテルアウィーナで開催 2019年10月27日「小笠原美都子さんを偲ぶ会」パート2を六甲学生青年センターで開催
2019年10月マンハイムで 娘の眞衣とコラボ2回、ドイツの教会3箇所でサロンコンサート
2019年6月 コロナ禍で予定の公演のキャンセルがつづく中 乳がん(ステージ2A)の手術
2021年1月26日 ハートフルとユネスコ合唱団のコンサート、県立芸文センター小ホール
202212月4日 シャボン玉童謡の会と宝塚ユネスコ後援で「野口雨情物語」公演 ベガホール
2023 2月 沖縄と東京、難波でチュチェ研究会全国セミナーでピアノと歌を公演
日本の子供たちの未来が、明るく平和に光かがやくように、日本の住民みなが安心して幸せに暮らせるように、地球上のすべての人々と、核のない戦争のない、安心と平和な未来を共有するために、今、日本のわたしたちは戦争放棄の日本国憲法9条を守り、それを世界に広め活かしてゆきたい。日本が原発禁止・核兵器廃絶へと向かうように信念をもって活動してゆきます. (池辺幸惠. 宝塚市仁川高台1-12-27 http://yukichan.cc)
★プロフィル☆ 池辺幸惠 平和のピアニスト 2023.3.21
広島県福山市北吉津町出身・広島大学付属福山中高から大阪教育大付属池田分校に転入。大阪芸術大学音楽部ピアノ科に入学、全額免除生・総代で卒業。大阪芸術大学に副手勤務・大阪教育大学大学院修士修了・ 大阪芸術大学に講師で勤務
小学校1年よりピアノを始めた。関西音大新人コンサート・日本演奏連盟推薦第14 回ヤマハ Jリサイタル、 毎日ホール・サンケイホール・いづみホール等で、大阪フィルやニューフィルハーモニー大阪等と“ピアノ協奏曲を協演。 河原浩、北野完一、田原冨子、横井和子、ジョルジュ・アゴナシュヌに師事
●S50 大学院の時に池辺眞行と結婚 S52からつづけて3人出産 S56年子育てのため大学退職
●東京の杉並区で下北沢の日本CI協会にて桜沢リマ・大森英櫻先生から桜沢如一の食養の理論と実践を学ぶ。関西に帰ってからも山本祥園先生について研鑽を積む。
●尼崎市にて巷のピアノ教師・ヤマハグレード講師・関西フリースクール研究会会長。
●1981年関西一円のフリースクールの仲間を連帯し、会員500名、全国フリースクール研合宿を島本町にて開催
●長男を屋久島の小学校に転入させ屋久島の農園で4人目を自然出産。3学期からは六甲山小学校に3人をいれる。
●茨木市山手台で2反の畑を耕しながら、共同保育・自然食のコピーライター。この時分 純粋意識の離脱体験をし閃光を放ち爆発至福の歓喜に満たされる「暮らしと給食をみなおす会」をたちあげ学校給食改善・食と暮らしの改善の活動
●神戸市灘区篠原に転居 ”本物を感じる会”を始める。本音を語り合う会・ 小川茂年さんの手技手当て操法・気質人間学講座等等々を毎月主宰する。アトピーネットワークにも参加
●教育への幅広い研鑽と実践、そして食養・陰陽五行・エゴギョウによる気質人間学のセミナーも開催
●1991年6月~7月家族で一ヶ月半かけてモーターホームでワシントンDC.からサンフランシスコまでアメリカ横断旅行
●1995(H7) 1.17 阪神淡路大震災!翌朝から震災ボランティアを初め、4月から灘区で震災ボランティア「ひまわりネットワーク」を立ち上げ3年間震災ボランティアで活躍する。
●1996年2月仮説の子ら10人が北海道岩見沢で駒澤大学の震災ボラの学生たちとスキー
●1997年8月仮説の子ら20数人と震災ボラたちとワゴン・小型トラック・マイクロバスで舞鶴からフェリーで小樽まで行き、北海道で10日間の交流ツァーをした。
●199810月~ 一人でヨーロッパを BPとユーレイルパスで旅行 。独・墺・スイス・伊・西・仏・英をめぐる
●1998 西宮に転居 林秀臣さん文明法則史学・大森英櫻先生の食養などのセミナーも開催。
●ピアノも再開し昔の大学の生徒たちが戻ってきた。「陰陽リラックス奏法」で楽器店などで講演と演奏指導をおこなう。発表会「ふれあいコンサート」も甲東園にて度々開催。
●2003年11月からは毎夏八ヶ岳の”詩游館”で「八ヶ岳ふれあいコンサート」を開催。
●孫弟子たちを7~8年あずかって5人を音楽大学に入学させた。私も演奏活動をはじめる。
2001 第4 回長江杯国際音楽コンクール1位なし2 位
2002 第10 回アジアクラシックコンクール銀賞
2002 第3回 中国音楽コンクール専門の部で金賞、神戸文化振興財団賞等受賞。中国各地をコーラスと一緒に演奏旅行、 杭州音楽院・寧波市民会館で中国のピアノ曲を弾く。
● 2002 中国の胡弓の青年 張剣さんと「ふれあいコンサート」で各地に演奏にまわる。
● 神戸の音楽喫茶でもサロンコンサートを始めた。バイオリンの李陽さんともジョイントライヴ。
● 2003年 豊中市ローズ文化ホールで中国の曲を3曲演奏
● 2005年9月17日いずみホールでショパンのピアノコンツェルトを弾くニューフィルハーモニック大阪指揮橋本徹雄
●夫が東京に単身赴任になり東京にも生徒のレッスンに行き、平和の集会に顔を出す。
●2001年9.11から日本と米国のさらなる接近が懸念されたので、千葉大の小林正也教授ときくちゆみさんが共同代表の「野党共闘をめざす市民の風」のスタッフとして活躍。
●2006.9.11 きくちゆみさんとニューヨークに行き9.11真相究明のデモと会合に参加。
●2007年11月3日 改築された中之島の公会堂で憲法の日に辻井喬さんと映像とピアノ演奏
●2007年9月23日 9条の会「結成3周年の集い」でも9条の会 小森陽一さんと映像とピアノ演奏
以来、あちこちの平和集会に被爆コンサートに加え、政治的な平和のピアニストとして映像とピアノと歌で活躍
●2008年4月西宮市大谷記念美術館で被爆平和コンサート被爆あおぎりの種子も配った。
●2011年その時配ったアオギリが無事育ち芦屋市打出小学校でアオギリの苗を植えて平和のライヴ
●2009年からは被爆ピアノとともに”被爆ピアノ平和コンサート”を関西一円の小中高学校や公民館など、関西でたくさんの公演をしてまわる。被爆映像とピアノ「みさこのピアノ」と歌の公演
●2009年10月 大阪女性の会の学習会で平和コンサート
●2010年正月 海勢頭豊さんと平和行進の仲間と沖縄久高島から初日の出を拝む。沖縄からの平和行進にトピック参加
●2010年3.27 広島で平和コンサート、京都で海瀬頭豊さんとコラボ、映像とピアノの平和ライヴ。
●2010年2月9日静岡県掛川市、7/10堺市西文化会館ホール、7/23明石生涯学習センターホール、8月草津人権協議会で平和コンサート、日本各地で被爆ピアノと平和コンサートをしてまわる。
●広島YMCAホールで講演前の平和コンサート各地で被爆者の方に被爆ピアノコンサート
●8/8広島市で折り鶴の祈りコンサート
●ところが、郷里福山市の母親が交通事故に遭い毎週郷里に通うことになって、公演に十分対応できなくなってきた。とうとう母を西宮にひきとり毎日その世話に追われた。最終的には老人病院に入ってからは毎日通いましたが、とうとう亡くなって葬式を福山ですませた。
●2011年2月 フランスの南のアングレット市にて、バラントンひろみさんの尽力で被曝の語り部「非核特使」の森田節子さんが10回の公演。お城のホールで石橋和子さんと一緒に「平和コンサート」行きはパリに、帰りはローマに行く 。
●2011年3月12日~18日そして日本に帰って鹿児島と沖縄と宮古島で平和コンサートをしている時に、2011.3.11の福島原発事故がおきた。東京の娘とは屋久島のコンサートで合流
●2011年4月そこからは福島3.11の震災ボランティアです。すぐの4月に若いお母さんたちの車を運転し郡山のイベントにつきあって、ピッグパレットで茶話会の聞き取りボランティアをした。
●4月末にも京都のご老人が親戚に会いにゆきたいとご一緒し、被災地の生々しい惨状をワゴンで見てまわった。
●2011年9月4日 高岡市生涯学習センターホールで「街- 過去・現在、そして未来へ」
●2012年4月 朝鮮を初訪朝し<4月春の国際親善芸術祭典>に出演 ディプロマ賞受賞大山蓮華のクリスタルのトロフィー
●2012年5月 宝塚市に転居 息子夫婦と同居する。
●2012年8月8日 故郷福山市の第58回 市民平和のつどいで平和コンサート。ふくやまリーデンローズ大ホールにて
●2012年8/31~9月 <アリラン大公演>の鑑賞に再訪朝し日本の朝鮮への誤解と偏見を認識し不勉強な私を恥じた
●2013年2月 堺市のサンスクエアのホールで、92歳の小笠原美都子さんを囲んで朝鮮学校支援のチャリティー「歌はわが華」を開催。3月の誕生会にて日朝音楽芸術交流会会長を引き受ける
●2013年7月26日~30日 韓国に朝鮮戦争休止祝賀ツアー服部良一さん代表 ソウルで日韓友好シンポウム 臨津江観光
●2013年8月1日~10日イスタンブールからウィーンへ 東京メンネルコールの一員として参加。教会でコーラス公演
●2014年 1月23日 1月 沖縄の数カ所で「新春平和コンサート」を公演
●2014年2月 日本チュチェ思想研究会代表団の団長として朝鮮を訪問。光明星節に出席。
●2014年7.21.3年目に教会の震災ボランティアのワゴンに同乗して釜石に行き、大きな仮設住宅の聞き取りボランティアとお寺の和尚さんから当時の話や写真や震災の跡地を見てまわる
●2014年8月 阪大講堂で石巻の震災以後の映像の解説とピアノ演奏、森松明希子さんの震災の話デバラシさんの映像
●2014年11.23宝塚ハートフル合唱団県立芸術劇場大ホール「ガイア永遠の輝き」に以来ハートフル合唱団の伴奏者
●2015年8.2 ~11 宝塚ハートフル合唱団で私も含む団員15人と被爆の語り部2人と、NYからワシントンDC.に行き、ワシントン大のギャラリーでは丸木位里さんの原爆の図を展示しており8/6ワシントン大学のリサイタルホールで広島・長崎戦後70周年平和記念式典での被爆者の語りと原爆の映像で追悼の平和コンサート、8/9 ホワイトハウス前ではNHKTVも撮影にきた。そして他にも子どもたちの平和キャンプやアメリカの地方の街の2カ所でも、被爆者の語りと平和コンサートを計6カ所で公演してきました。
●2015年10月 朝鮮の10.10の労働党設立70周年の記念式典に出席
●2016年1月10日「新春芸術と交流の夕べ」沖縄でディナーショー
●2016年7月22日 治安維持法犠牲者国家賠償同盟7回総会で平和のコンサート 、三木清さん追悼の歌をうたう
●2017年5月5日. 川西みつなかホールそよ風コンサートで朝鮮の大曲”故郷のから松”を弾く
●2017年8月7日 南アフリカエラ・ガンジーさんを招いて ハートフル合唱団コンサート
●2017年8月31日~9月17日 夫とヨーロッパ旅行 ポーランド・ドイツ・オランダ・フランス・ヘルシンキ
●2017年10月7日 韓国釜山にて日朝の曲で平和コンサート
● <音楽と平和のつどい>を立ち上げ 池辺幸惠が主宰者 以来いくつものコンサートや「原爆と戦争写真展」等々開催
● 2017年11月15日 “戦争を許さない女のつどい”で石川康宏さんとコラボ. 生田文化会館
● 2017年12月7~8日 ソウル市で慰安婦像前に、教会のクリスマス公演と平和コンサートツアー
● 2017年12月11日~19日 金正淑女史の生誕100周年ツアーで平壌訪問
●2018年1月ピアノ寄贈記念新春コンサート合唱団と池辺眞衣池辺幸惠のピアノで2回公演
●2018年3月2日 Spring Concert ポーランドからアンジェイ・ピクル教授を迎えて公演
●2018年4月1日春休みコンサート、三上摂さんのマリンバ. インドからの太鼓 生徒たちの歌とピアノ等
小学6年生の弟子が子供の情景とラヴェルのソナチネ全曲演奏。金和美さんも熱唱!!!
●2018/4 朝鮮通信使ユネスコ世界記憶遺産登録記念シンポジウムでピアノ演奏と朝鮮通信使の特別寄稿
ー東アジアの文化友好と和解の共同体を求めてー
●2018年4月30日 オペラカルメン、ルナ・ホールでハートフル合唱団がバックコーラスに出演
● 革新懇で、映像とピアノの平和コンサート
●2018年12月5日~6日 韓国大邱市での宝塚友好親善ツアーに参加
●2018年2月 メキシコのチュチェ研究会全国大会に参加 ラテンの芸術歴史文化にふれる
●2019年3月8日 女性デーに女性会議で平和コンサート公演、三宮勤労会館
●2019年7月25日 小笠原美都子さんが、享年100才で死亡
●2019年9月7日 「小笠原美都子さんを偲ぶ会」を大阪のホテルアウィーナで開催 300人近くが集い追悼をした。
●2019年10月27日「小笠原美都子さんを偲ぶ会」パート2を六甲学生青年センターで開催
●2019年10月マンハイムのスタインウェイサロンで 娘の眞衣とコラボのサロンコンサートを2回行う。
● ドイツの教会の3カ所で(ミュンヘン・マンハイム )平和コンサートをする。ザルツブルグ音楽祭に行く。
● 2019年3月. インドのデバラシさんとカナダのピアニストを広島・沖縄を案内する
●2019年6月 コロナ禍で予定の公演のキャンセルがつづく中乳がん(ステージ2A)の手術
●2021年1月26日 ハートフルとユネスコ合唱団のコンサート、芸文センター小ホール
●202212月4日 シャボン玉童謡の会とユネスコ後援で「野口雨情物語」公演 ベガホール
●2023 2月 沖縄と東京のチュチェ研究会でピアノと歌を公演 住井すゑさんの記念館と野口雨情の記念館と実家に行く
ここまで書いてるのは、ちらしやDVDでのこってるぶんだけですが、 とても書ききれない細かな公演活動が抜けています。覚えているのにいつどこでだったか・・・分からない???
ここ2年はコロナ禍と乳ガン術後のせいで、けっこうおとなしくしていたけれど、毎月の年金者組合と視覚障害者の施設でのうたごえ会や毎週のシャボン玉童謡の会、毎年10月の公民館祭り、それなりにうちわの研究会等では度々ピアノと歌と公演と報告会と講演、研究会と冊子等の原稿作成に追われていたといっても過言ではない。 そして、わたしは、本虫なので、ほとんど毎日のように本を数時間読んでいる。徹夜しないで本読みを途中でやめれるようになったのは進歩か年か?!日々の読書(漫画から)から得たものは、わたしの人格形成に大いに役立っていると思っています。
対外的には、今は日朝音楽芸術交流会会長として、日朝間の音楽交流と・朝鮮の美しい音楽の普及に尽くそうとしています。あわせて朝鮮の自主自立・正義と平和を基調とする「人民が一番、人民に学び、人民に尽くす人民大衆第一主義」である”チュチェ思想”への研究と理解もすすめています。これまでも日本は少数民族を異民族として排斥同化政策をしてきました。しかしどの民族であれ民族としての尊厳を尊重し、人権・自決権と暮らしを守れるよう共存する国々は手助けをしてしかるべきでしょう。
それ以上に脚下照顧! 当の日本政府が、貧民や母子父子家庭 一人暮らし高齢者のケア介護の問題については、特に今の金持ちとに偏っている自民党政権からは見えない範疇であって、細やかな政治的配慮は皆無といっていい「しったこっちゃない」というわけです。差別と格差拡大が大問題になりつつある今、在日朝鮮人への理解と交流・支援にもできるだけ携わっていきたいし 身近にある朝鮮民主主義人民共和国への悪意ある偏見と誤解を解いてゆきたい。在日や・朝鮮学校の生徒たちへの差別と偏見をなくせるような政治へと応援し活動をしたいと思っています 。
同様に、日本における朝鮮・韓国、そしてアイヌや琉球の方々も同様に、これまでの日本人による偏見と差別の過去の酷い仕打ちについても、日本人一人一人が日本という国が彼らに一体何をしてきたかをよくよく知って理解し顧みてよく考え、心からのお詫びの気持ちを持たねばならないとわたしは思っています。これまでの日本の国としての態度をみた時、過去から今までの目をそむけたくなる事実も真摯に見つめ、そして、未来に向けて友好を築いてゆくにはどうすればよいのかを、わたしたち日本人として、いまだに目の前にある過去のありのままの事実を認識して真剣に考えてこそ、これまでの朝鮮・韓国への誤解や偏見も少しずつ解けてゆくと思います。
朝鮮・中国と同様に、沖縄への対応も歴史を十分にしらねばなりません。沖縄を足蹴にしてきた反省と米軍基地集中への反省と、琉球弧の島々を米軍基地の拠点の軍島にしてしまっている現状をよくよく見つめ、沖縄への尊厳を保ち自立への支援をして、これまでの日本との不幸な確執が溶けるように日本国民一人一人がよくその歴史を認識すべきでしょう。 辺野古 高雄や馬毛島の基地建設も同様に、なぜそんな不自然な工事を沖縄の反対を押し切ってまで続行しているのか?!?それは原発再開どうように利権ゆえのゴリ押しです。国内の少数民族の自立自決権を尊重してこれまでの理不尽な搾取と対応をわびねばなりません。
そして、日本は、反原発と9条を守る、非核と戦争放棄の平和立国として、軍事大国の米国の頚城を確実にはずすべきでしょう。日本の自主自立・ほんものの独立をすすめるべく、わたしはその信念をもって、歌とピアノと映像と語りの”平和コンサート”を日本各地で開いてゆく所存です。みなさまには音楽を楽しんで聴きながら映像を見てもらって、心を開いていただければ嬉しいです。平和な日本を願うわたしの思いをともに共有できたら、みなさんとともに平和を喜んで分かち合えるものと期待しています。そして、私は今、日本の新しいコーラスの曲にとても興味を持って伴奏をしているところです。それというのも新たにすばらしいコーラスの指導者・歌い手さんに出会えて、只今わくわくしているところです。音楽はすばらしい心軽やかに魂を光らせてくれます。
日本の子供たちの未来が、明るく平和に光かがやくように祈っています。今、日本に住んでいる住民一人一人が みな安心して喜んで幸せに暮らせますようにと願っています。そして地球上のみなが、ともに核のない戦争のない、安心と平和な未来を共有できるように、今、日本のわたしたちは、戦争放棄の日本国憲法9条を守り、それを世界にも伝えてゆきたい。そして、 国として 反原発・核兵器廃絶の活動に向かいようにと活動してゆきます。
そしてまずは身近な人たちと平和への願いを共有する活動をしながら、まずは近隣の東北アジアの<日朝中韓台蒙>の6カ国との交流と友好を深めてゆけたらと願っています。 (文責 池辺幸惠 2023.3.23)
広島県福山市北吉津町出身・広島大学付属福山中高から大阪教育大付属池田分校に転入。大阪芸術大学音楽部ピアノ科に入学、全額免除生・総代で卒業。大阪芸術大学に副手勤務・大阪教育大学大学院修士修了・ 大阪芸術大学に講師で勤務
小学校1年よりピアノを始めた。関西音大新人コンサート・日本演奏連盟推薦第14 回ヤマハ Jリサイタル、 毎日ホール・サンケイホール・いづみホール等で、大阪フィルやニューフィルハーモニー大阪等と“ピアノ協奏曲を協演。 河原浩、北野完一、田原冨子、横井和子、ジョルジュ・アゴナシュヌに師事
●S50 大学院の時に池辺眞行と結婚 S52からつづけて3人出産 S56年子育てのため大学退職
●東京の杉並区で下北沢の日本CI協会にて桜沢リマ・大森英櫻先生から桜沢如一の食養の理論と実践を学ぶ。関西に帰ってからも山本祥園先生について研鑽を積む。
●尼崎市にて巷のピアノ教師・ヤマハグレード講師・関西フリースクール研究会会長。
●1981年関西一円のフリースクールの仲間を連帯し、会員500名、全国フリースクール研合宿を島本町にて開催
●長男を屋久島の小学校に転入させ屋久島の農園で4人目を自然出産。3学期からは六甲山小学校に3人をいれる。
●茨木市山手台で2反の畑を耕しながら、共同保育・自然食のコピーライター。この時分 純粋意識の離脱体験をし閃光を放ち爆発至福の歓喜に満たされる「暮らしと給食をみなおす会」をたちあげ学校給食改善・食と暮らしの改善の活動
●神戸市灘区篠原に転居 ”本物を感じる会”を始める。本音を語り合う会・ 小川茂年さんの手技手当て操法・気質人間学講座等等々を毎月主宰する。アトピーネットワークにも参加
●教育への幅広い研鑽と実践、そして食養・陰陽五行・エゴギョウによる気質人間学のセミナーも開催
●1991年6月~7月家族で一ヶ月半かけてモーターホームでワシントンDC.からサンフランシスコまでアメリカ横断旅行
●1995(H7) 1.17 阪神淡路大震災!翌朝から震災ボランティアを初め、4月から灘区で震災ボランティア「ひまわりネットワーク」を立ち上げ3年間震災ボランティアで活躍する。
●1996年2月仮説の子ら10人が北海道岩見沢で駒澤大学の震災ボラの学生たちとスキー
●1997年8月仮説の子ら20数人と震災ボラたちとワゴン・小型トラック・マイクロバスで舞鶴からフェリーで小樽まで行き、北海道で10日間の交流ツァーをした。
●199810月~ 一人でヨーロッパを BPとユーレイルパスで旅行 。独・墺・スイス・伊・西・仏・英をめぐる
●1998 西宮に転居 林秀臣さん文明法則史学・大森英櫻先生の食養などのセミナーも開催。
●ピアノも再開し昔の大学の生徒たちが戻ってきた。「陰陽リラックス奏法」で楽器店などで講演と演奏指導をおこなう。発表会「ふれあいコンサート」も甲東園にて度々開催。
●2003年11月からは毎夏八ヶ岳の”詩游館”で「八ヶ岳ふれあいコンサート」を開催。
●孫弟子たちを7~8年あずかって5人を音楽大学に入学させた。私も演奏活動をはじめる。
2001 第4 回長江杯国際音楽コンクール1位なし2 位
2002 第10 回アジアクラシックコンクール銀賞
2002 第3回 中国音楽コンクール専門の部で金賞、神戸文化振興財団賞等受賞。中国各地をコーラスと一緒に演奏旅行、 杭州音楽院・寧波市民会館で中国のピアノ曲を弾く。
● 2002 中国の胡弓の青年 張剣さんと「ふれあいコンサート」で各地に演奏にまわる。
● 神戸の音楽喫茶でもサロンコンサートを始めた。バイオリンの李陽さんともジョイントライヴ。
● 2003年 豊中市ローズ文化ホールで中国の曲を3曲演奏
● 2005年9月17日いずみホールでショパンのピアノコンツェルトを弾くニューフィルハーモニック大阪指揮橋本徹雄
●夫が東京に単身赴任になり東京にも生徒のレッスンに行き、平和の集会に顔を出す。
●2001年9.11から日本と米国のさらなる接近が懸念されたので、千葉大の小林正也教授ときくちゆみさんが共同代表の「野党共闘をめざす市民の風」のスタッフとして活躍。
●2006.9.11 きくちゆみさんとニューヨークに行き9.11真相究明のデモと会合に参加。
●2007年11月3日 改築された中之島の公会堂で憲法の日に辻井喬さんと映像とピアノ演奏
●2007年9月23日 9条の会「結成3周年の集い」でも9条の会 小森陽一さんと映像とピアノ演奏
以来、あちこちの平和集会に被爆コンサートに加え、政治的な平和のピアニストとして映像とピアノと歌で活躍
●2008年4月西宮市大谷記念美術館で被爆平和コンサート被爆あおぎりの種子も配った。
●2011年その時配ったアオギリが無事育ち芦屋市打出小学校でアオギリの苗を植えて平和のライヴ
●2009年からは被爆ピアノとともに”被爆ピアノ平和コンサート”を関西一円の小中高学校や公民館など、関西でたくさんの公演をしてまわる。被爆映像とピアノ「みさこのピアノ」と歌の公演
●2009年10月 大阪女性の会の学習会で平和コンサート
●2010年正月 海勢頭豊さんと平和行進の仲間と沖縄久高島から初日の出を拝む。沖縄からの平和行進にトピック参加
●2010年3.27 広島で平和コンサート、京都で海瀬頭豊さんとコラボ、映像とピアノの平和ライヴ。
●2010年2月9日静岡県掛川市、7/10堺市西文化会館ホール、7/23明石生涯学習センターホール、8月草津人権協議会で平和コンサート、日本各地で被爆ピアノと平和コンサートをしてまわる。
●広島YMCAホールで講演前の平和コンサート各地で被爆者の方に被爆ピアノコンサート
●8/8広島市で折り鶴の祈りコンサート
●ところが、郷里福山市の母親が交通事故に遭い毎週郷里に通うことになって、公演に十分対応できなくなってきた。とうとう母を西宮にひきとり毎日その世話に追われた。最終的には老人病院に入ってからは毎日通いましたが、とうとう亡くなって葬式を福山ですませた。
●2011年2月 フランスの南のアングレット市にて、バラントンひろみさんの尽力で被曝の語り部「非核特使」の森田節子さんが10回の公演。お城のホールで石橋和子さんと一緒に「平和コンサート」行きはパリに、帰りはローマに行く 。
●2011年3月12日~18日そして日本に帰って鹿児島と沖縄と宮古島で平和コンサートをしている時に、2011.3.11の福島原発事故がおきた。東京の娘とは屋久島のコンサートで合流
●2011年4月そこからは福島3.11の震災ボランティアです。すぐの4月に若いお母さんたちの車を運転し郡山のイベントにつきあって、ピッグパレットで茶話会の聞き取りボランティアをした。
●4月末にも京都のご老人が親戚に会いにゆきたいとご一緒し、被災地の生々しい惨状をワゴンで見てまわった。
●2011年9月4日 高岡市生涯学習センターホールで「街- 過去・現在、そして未来へ」
●2012年4月 朝鮮を初訪朝し<4月春の国際親善芸術祭典>に出演 ディプロマ賞受賞大山蓮華のクリスタルのトロフィー
●2012年5月 宝塚市に転居 息子夫婦と同居する。
●2012年8月8日 故郷福山市の第58回 市民平和のつどいで平和コンサート。ふくやまリーデンローズ大ホールにて
●2012年8/31~9月 <アリラン大公演>の鑑賞に再訪朝し日本の朝鮮への誤解と偏見を認識し不勉強な私を恥じた
●2013年2月 堺市のサンスクエアのホールで、92歳の小笠原美都子さんを囲んで朝鮮学校支援のチャリティー「歌はわが華」を開催。3月の誕生会にて日朝音楽芸術交流会会長を引き受ける
●2013年7月26日~30日 韓国に朝鮮戦争休止祝賀ツアー服部良一さん代表 ソウルで日韓友好シンポウム 臨津江観光
●2013年8月1日~10日イスタンブールからウィーンへ 東京メンネルコールの一員として参加。教会でコーラス公演
●2014年 1月23日 1月 沖縄の数カ所で「新春平和コンサート」を公演
●2014年2月 日本チュチェ思想研究会代表団の団長として朝鮮を訪問。光明星節に出席。
●2014年7.21.3年目に教会の震災ボランティアのワゴンに同乗して釜石に行き、大きな仮設住宅の聞き取りボランティアとお寺の和尚さんから当時の話や写真や震災の跡地を見てまわる
●2014年8月 阪大講堂で石巻の震災以後の映像の解説とピアノ演奏、森松明希子さんの震災の話デバラシさんの映像
●2014年11.23宝塚ハートフル合唱団県立芸術劇場大ホール「ガイア永遠の輝き」に以来ハートフル合唱団の伴奏者
●2015年8.2 ~11 宝塚ハートフル合唱団で私も含む団員15人と被爆の語り部2人と、NYからワシントンDC.に行き、ワシントン大のギャラリーでは丸木位里さんの原爆の図を展示しており8/6ワシントン大学のリサイタルホールで広島・長崎戦後70周年平和記念式典での被爆者の語りと原爆の映像で追悼の平和コンサート、8/9 ホワイトハウス前ではNHKTVも撮影にきた。そして他にも子どもたちの平和キャンプやアメリカの地方の街の2カ所でも、被爆者の語りと平和コンサートを計6カ所で公演してきました。
●2015年10月 朝鮮の10.10の労働党設立70周年の記念式典に出席
●2016年1月10日「新春芸術と交流の夕べ」沖縄でディナーショー
●2016年7月22日 治安維持法犠牲者国家賠償同盟7回総会で平和のコンサート 、三木清さん追悼の歌をうたう
●2017年5月5日. 川西みつなかホールそよ風コンサートで朝鮮の大曲”故郷のから松”を弾く
●2017年8月7日 南アフリカエラ・ガンジーさんを招いて ハートフル合唱団コンサート
●2017年8月31日~9月17日 夫とヨーロッパ旅行 ポーランド・ドイツ・オランダ・フランス・ヘルシンキ
●2017年10月7日 韓国釜山にて日朝の曲で平和コンサート
● <音楽と平和のつどい>を立ち上げ 池辺幸惠が主宰者 以来いくつものコンサートや「原爆と戦争写真展」等々開催
● 2017年11月15日 “戦争を許さない女のつどい”で石川康宏さんとコラボ. 生田文化会館
● 2017年12月7~8日 ソウル市で慰安婦像前に、教会のクリスマス公演と平和コンサートツアー
● 2017年12月11日~19日 金正淑女史の生誕100周年ツアーで平壌訪問
●2018年1月ピアノ寄贈記念新春コンサート合唱団と池辺眞衣池辺幸惠のピアノで2回公演
●2018年3月2日 Spring Concert ポーランドからアンジェイ・ピクル教授を迎えて公演
●2018年4月1日春休みコンサート、三上摂さんのマリンバ. インドからの太鼓 生徒たちの歌とピアノ等
小学6年生の弟子が子供の情景とラヴェルのソナチネ全曲演奏。金和美さんも熱唱!!!
●2018/4 朝鮮通信使ユネスコ世界記憶遺産登録記念シンポジウムでピアノ演奏と朝鮮通信使の特別寄稿
ー東アジアの文化友好と和解の共同体を求めてー
●2018年4月30日 オペラカルメン、ルナ・ホールでハートフル合唱団がバックコーラスに出演
● 革新懇で、映像とピアノの平和コンサート
●2018年12月5日~6日 韓国大邱市での宝塚友好親善ツアーに参加
●2018年2月 メキシコのチュチェ研究会全国大会に参加 ラテンの芸術歴史文化にふれる
●2019年3月8日 女性デーに女性会議で平和コンサート公演、三宮勤労会館
●2019年7月25日 小笠原美都子さんが、享年100才で死亡
●2019年9月7日 「小笠原美都子さんを偲ぶ会」を大阪のホテルアウィーナで開催 300人近くが集い追悼をした。
●2019年10月27日「小笠原美都子さんを偲ぶ会」パート2を六甲学生青年センターで開催
●2019年10月マンハイムのスタインウェイサロンで 娘の眞衣とコラボのサロンコンサートを2回行う。
● ドイツの教会の3カ所で(ミュンヘン・マンハイム )平和コンサートをする。ザルツブルグ音楽祭に行く。
● 2019年3月. インドのデバラシさんとカナダのピアニストを広島・沖縄を案内する
●2019年6月 コロナ禍で予定の公演のキャンセルがつづく中乳がん(ステージ2A)の手術
●2021年1月26日 ハートフルとユネスコ合唱団のコンサート、芸文センター小ホール
●202212月4日 シャボン玉童謡の会とユネスコ後援で「野口雨情物語」公演 ベガホール
●2023 2月 沖縄と東京のチュチェ研究会でピアノと歌を公演 住井すゑさんの記念館と野口雨情の記念館と実家に行く
ここまで書いてるのは、ちらしやDVDでのこってるぶんだけですが、 とても書ききれない細かな公演活動が抜けています。覚えているのにいつどこでだったか・・・分からない???
ここ2年はコロナ禍と乳ガン術後のせいで、けっこうおとなしくしていたけれど、毎月の年金者組合と視覚障害者の施設でのうたごえ会や毎週のシャボン玉童謡の会、毎年10月の公民館祭り、それなりにうちわの研究会等では度々ピアノと歌と公演と報告会と講演、研究会と冊子等の原稿作成に追われていたといっても過言ではない。 そして、わたしは、本虫なので、ほとんど毎日のように本を数時間読んでいる。徹夜しないで本読みを途中でやめれるようになったのは進歩か年か?!日々の読書(漫画から)から得たものは、わたしの人格形成に大いに役立っていると思っています。
対外的には、今は日朝音楽芸術交流会会長として、日朝間の音楽交流と・朝鮮の美しい音楽の普及に尽くそうとしています。あわせて朝鮮の自主自立・正義と平和を基調とする「人民が一番、人民に学び、人民に尽くす人民大衆第一主義」である”チュチェ思想”への研究と理解もすすめています。これまでも日本は少数民族を異民族として排斥同化政策をしてきました。しかしどの民族であれ民族としての尊厳を尊重し、人権・自決権と暮らしを守れるよう共存する国々は手助けをしてしかるべきでしょう。
それ以上に脚下照顧! 当の日本政府が、貧民や母子父子家庭 一人暮らし高齢者のケア介護の問題については、特に今の金持ちとに偏っている自民党政権からは見えない範疇であって、細やかな政治的配慮は皆無といっていい「しったこっちゃない」というわけです。差別と格差拡大が大問題になりつつある今、在日朝鮮人への理解と交流・支援にもできるだけ携わっていきたいし 身近にある朝鮮民主主義人民共和国への悪意ある偏見と誤解を解いてゆきたい。在日や・朝鮮学校の生徒たちへの差別と偏見をなくせるような政治へと応援し活動をしたいと思っています 。
同様に、日本における朝鮮・韓国、そしてアイヌや琉球の方々も同様に、これまでの日本人による偏見と差別の過去の酷い仕打ちについても、日本人一人一人が日本という国が彼らに一体何をしてきたかをよくよく知って理解し顧みてよく考え、心からのお詫びの気持ちを持たねばならないとわたしは思っています。これまでの日本の国としての態度をみた時、過去から今までの目をそむけたくなる事実も真摯に見つめ、そして、未来に向けて友好を築いてゆくにはどうすればよいのかを、わたしたち日本人として、いまだに目の前にある過去のありのままの事実を認識して真剣に考えてこそ、これまでの朝鮮・韓国への誤解や偏見も少しずつ解けてゆくと思います。
朝鮮・中国と同様に、沖縄への対応も歴史を十分にしらねばなりません。沖縄を足蹴にしてきた反省と米軍基地集中への反省と、琉球弧の島々を米軍基地の拠点の軍島にしてしまっている現状をよくよく見つめ、沖縄への尊厳を保ち自立への支援をして、これまでの日本との不幸な確執が溶けるように日本国民一人一人がよくその歴史を認識すべきでしょう。 辺野古 高雄や馬毛島の基地建設も同様に、なぜそんな不自然な工事を沖縄の反対を押し切ってまで続行しているのか?!?それは原発再開どうように利権ゆえのゴリ押しです。国内の少数民族の自立自決権を尊重してこれまでの理不尽な搾取と対応をわびねばなりません。
そして、日本は、反原発と9条を守る、非核と戦争放棄の平和立国として、軍事大国の米国の頚城を確実にはずすべきでしょう。日本の自主自立・ほんものの独立をすすめるべく、わたしはその信念をもって、歌とピアノと映像と語りの”平和コンサート”を日本各地で開いてゆく所存です。みなさまには音楽を楽しんで聴きながら映像を見てもらって、心を開いていただければ嬉しいです。平和な日本を願うわたしの思いをともに共有できたら、みなさんとともに平和を喜んで分かち合えるものと期待しています。そして、私は今、日本の新しいコーラスの曲にとても興味を持って伴奏をしているところです。それというのも新たにすばらしいコーラスの指導者・歌い手さんに出会えて、只今わくわくしているところです。音楽はすばらしい心軽やかに魂を光らせてくれます。
日本の子供たちの未来が、明るく平和に光かがやくように祈っています。今、日本に住んでいる住民一人一人が みな安心して喜んで幸せに暮らせますようにと願っています。そして地球上のみなが、ともに核のない戦争のない、安心と平和な未来を共有できるように、今、日本のわたしたちは、戦争放棄の日本国憲法9条を守り、それを世界にも伝えてゆきたい。そして、 国として 反原発・核兵器廃絶の活動に向かいようにと活動してゆきます。
そしてまずは身近な人たちと平和への願いを共有する活動をしながら、まずは近隣の東北アジアの<日朝中韓台蒙>の6カ国との交流と友好を深めてゆけたらと願っています。 (文責 池辺幸惠 2023.3.23)
<・・・元国会議員 藤江ch.より・・・>
急遽のおしらせです。コピペで失礼します。それと、肝心なデータによるの図がのらないので・・・⭐️ にしておきました。また時間のある時載せれるようにしてみます。
=======================================
(厚労省の「人口動態統計速報」2022年12月分 前年比)
去年の 12月の死者数は、2万4千人増!!! 超激増!!!
過去10年間の年間の平均増加数 より10倍以上多い 1ヶ月で2万4361人
18.18%増!!! 2023年2月28日発表!!!
⭐️
これがひと月の増加 ! これまでは 一年間で増えていた数を2022年12月の
1ヶ月だけで増やしている!
全国の死者数 2022年12月は15万8387人!!! ↓
⭐️
これまでの10年間の年間死亡者数の増加数は年間↓18700人、 前年比平均で だいたい2%増だった。これがこれまでの通常モード
⭐️
前年との同月比で1万人超えた月は、この10年間で2021年5月のみ!!!
⬇ 2012年2月はうるう年で、1日増えた分の8759人をひくと1万人以内に
なる。つまり、厳密に言えば、2021年までの前年比月の死亡増加数が、1万 人超えたのは2021年の5月1回だけといえよう!!!
⭐️←閏年で1日分8759 人を引けば1万人以内
戦後1947年~前年比で死者数が多かった年は2021年です。(2021年はコロ ナ禍2年目で5月からワクチンが始まった) その前の2011年の5万以上の増加 は、東北大震災の急増です!!! しかし、
問題の 2022年は 年間12万 9744人 の 超増加です!!!!
⭐️
(前年の 2021年 もそれま でで一番 多い死亡 増加数で す。そこ にさらに 上乗せて の 前年比 の2022 年の増加 死亡数12万9744 人!!!は、とうていありえないといえるような 激増 超過死亡数なのです!)
⬇ 2022年のコロナの陽性者の死亡数は年間7622人(死亡後でも陽性であれば、なんでもかでもコロナ死としてしまう なかでの数字、実際はもっと少ないはず ↑厚生労働省のオープンデータより)
⭐️
この2022年の増加死亡数12万9744人 はコロナ死よりはるかに多い つまり この激増超過死亡数は、コロナが原因ではない!!!
国立感染症研究所所発表からも、コロナ以外で予年間測死亡数が2ヶ月分少 なくても、実際には超過死亡数が10万人以上増えている!!! 謎!!! です!!!
⭐️
2022年の この超超過死亡数の 異常事態! をメディアも政府も問題にしない。 一年12ヶ月のうち 7ヶ月が1万人を超えている、超超過死亡数という 異常事態なのです。
⭐️
河北新報より ⭐️ ⭐️ ⭐️
-----------------
もうひとつコロナmRNAワクチンの危険性を唱えておられる 免疫研究の第一人者である東京理科大学名誉教授の村上康文先生より
新型コロナウイルス感染症による死亡者
(だが、コロナ感染による死亡だけではないと推測できるが<池辺>)
A 2022年2月 4,897人 2022年3月 4,499人 B 2022年8月 7,293人 2022年9月 4,923人 2022年 10月 1,864人 (2023.1.15)
(12月 7622人 しかし超過死亡数12月だけで12万9744人 池辺)
そこで、新型コロナワクチン接種との相関関係を見ていくと
⭐️
図3は 2022年2月~3月に3回目接種、8月に4回目接種が行われたことを示 している。これは、図1で示した日本国内の死亡者数が増加した時期(A)2
月(B)8月と重なっている。コロナ関連死としては一致していなかった10 月の死亡者数増加傾向も、ワクチン接種との相関としてなら説明がつく。
東北有志医師の会と村上先生の座談会にて「コロナワクチンのブースター接 種(接種を繰り返すこと)は、1,2回目では変化が目立たないが3回目から その健康被害が顕在化する。打てば打つほど被害が増える」との指摘がなさ れており、その主張との相関関係も矛盾しない。
また、昨年の沖縄県の死亡者数を調べたところ、2022年8月に突出して死亡 者が増えていたということだが、これも4回目の接種と時期が一致している といえるだろう。
これらを踏まえると、昨年の死者数の増加は新型コロナ感染よりもむしろ、 ワクチン接種を繰り返したことによる被害であることが示唆される。 その検証を行うために、例えば死亡者のワクチン接種履歴を市区町村別に調 査するなどを行えば、ワクチン接種との因果関係が解明されていくのではな いだろうか。
いずれにせよ、免疫学の観点から身体への影響が指摘され、上記のようなデー タから鑑みてまさにその通りの事態が起こっている現状を踏まえ、これ以上 の被害を食い止めるためにもワクチン接種は即刻中止するべきである。 また、これらの事実から目を背け免疫学研究者の警鐘をデマ呼ばわりして報 道しなかったマスコミの罪も同様に重い。
新型コロナワクチン(mRNA型ワクチン)を接種することによっておこる免 疫抑制について、村上先生は「ワクチンの2回の接種をされた方の免疫が正 常値に戻るまでに1年かかった。3回目、4回目を接種された方の免疫が回 復するまでどれぐらいかかるのかは未知数である」とも述べている。
そもそも、ワクチン開発の際ファイザーの動物実験では3回目の接種までし か行っておらず、現在(世界的にワクチン接種が中止されている中で) 5回目 の接種を促されている日本人はもはや大規模な人体実験をさせられていると いえるのではないだろうか。 ( 2003.3.7 文責 池辺幸惠)
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(厚労省の「人口動態統計速報」2022年12月分 前年比)
去年の 12月の死者数は、2万4千人増!!! 超激増!!!
過去10年間の年間の平均増加数 より10倍以上多い 1ヶ月で2万4361人
18.18%増!!! 2023年2月28日発表!!!
⭐️
これがひと月の増加 ! これまでは 一年間で増えていた数を2022年12月の
1ヶ月だけで増やしている!
全国の死者数 2022年12月は15万8387人!!! ↓
⭐️
これまでの10年間の年間死亡者数の増加数は年間↓18700人、 前年比平均で だいたい2%増だった。これがこれまでの通常モード
⭐️
前年との同月比で1万人超えた月は、この10年間で2021年5月のみ!!!
⬇ 2012年2月はうるう年で、1日増えた分の8759人をひくと1万人以内に
なる。つまり、厳密に言えば、2021年までの前年比月の死亡増加数が、1万 人超えたのは2021年の5月1回だけといえよう!!!
⭐️←閏年で1日分8759 人を引けば1万人以内
戦後1947年~前年比で死者数が多かった年は2021年です。(2021年はコロ ナ禍2年目で5月からワクチンが始まった) その前の2011年の5万以上の増加 は、東北大震災の急増です!!! しかし、
問題の 2022年は 年間12万 9744人 の 超増加です!!!!
⭐️
(前年の 2021年 もそれま でで一番 多い死亡 増加数で す。そこ にさらに 上乗せて の 前年比 の2022 年の増加 死亡数12万9744 人!!!は、とうていありえないといえるような 激増 超過死亡数なのです!)
⬇ 2022年のコロナの陽性者の死亡数は年間7622人(死亡後でも陽性であれば、なんでもかでもコロナ死としてしまう なかでの数字、実際はもっと少ないはず ↑厚生労働省のオープンデータより)
⭐️
この2022年の増加死亡数12万9744人 はコロナ死よりはるかに多い つまり この激増超過死亡数は、コロナが原因ではない!!!
国立感染症研究所所発表からも、コロナ以外で予年間測死亡数が2ヶ月分少 なくても、実際には超過死亡数が10万人以上増えている!!! 謎!!! です!!!
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2022年の この超超過死亡数の 異常事態! をメディアも政府も問題にしない。 一年12ヶ月のうち 7ヶ月が1万人を超えている、超超過死亡数という 異常事態なのです。
⭐️
河北新報より ⭐️ ⭐️ ⭐️
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もうひとつコロナmRNAワクチンの危険性を唱えておられる 免疫研究の第一人者である東京理科大学名誉教授の村上康文先生より
新型コロナウイルス感染症による死亡者
(だが、コロナ感染による死亡だけではないと推測できるが<池辺>)
A 2022年2月 4,897人 2022年3月 4,499人 B 2022年8月 7,293人 2022年9月 4,923人 2022年 10月 1,864人 (2023.1.15)
(12月 7622人 しかし超過死亡数12月だけで12万9744人 池辺)
そこで、新型コロナワクチン接種との相関関係を見ていくと
⭐️
図3は 2022年2月~3月に3回目接種、8月に4回目接種が行われたことを示 している。これは、図1で示した日本国内の死亡者数が増加した時期(A)2
月(B)8月と重なっている。コロナ関連死としては一致していなかった10 月の死亡者数増加傾向も、ワクチン接種との相関としてなら説明がつく。
東北有志医師の会と村上先生の座談会にて「コロナワクチンのブースター接 種(接種を繰り返すこと)は、1,2回目では変化が目立たないが3回目から その健康被害が顕在化する。打てば打つほど被害が増える」との指摘がなさ れており、その主張との相関関係も矛盾しない。
また、昨年の沖縄県の死亡者数を調べたところ、2022年8月に突出して死亡 者が増えていたということだが、これも4回目の接種と時期が一致している といえるだろう。
これらを踏まえると、昨年の死者数の増加は新型コロナ感染よりもむしろ、 ワクチン接種を繰り返したことによる被害であることが示唆される。 その検証を行うために、例えば死亡者のワクチン接種履歴を市区町村別に調 査するなどを行えば、ワクチン接種との因果関係が解明されていくのではな いだろうか。
いずれにせよ、免疫学の観点から身体への影響が指摘され、上記のようなデー タから鑑みてまさにその通りの事態が起こっている現状を踏まえ、これ以上 の被害を食い止めるためにもワクチン接種は即刻中止するべきである。 また、これらの事実から目を背け免疫学研究者の警鐘をデマ呼ばわりして報 道しなかったマスコミの罪も同様に重い。
新型コロナワクチン(mRNA型ワクチン)を接種することによっておこる免 疫抑制について、村上先生は「ワクチンの2回の接種をされた方の免疫が正 常値に戻るまでに1年かかった。3回目、4回目を接種された方の免疫が回 復するまでどれぐらいかかるのかは未知数である」とも述べている。
そもそも、ワクチン開発の際ファイザーの動物実験では3回目の接種までし か行っておらず、現在(世界的にワクチン接種が中止されている中で) 5回目 の接種を促されている日本人はもはや大規模な人体実験をさせられていると いえるのではないだろうか。 ( 2003.3.7 文責 池辺幸惠)
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