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ピースなピアノとスライドショーの出前はいかが?
「原爆と戦争展」2023.8.11 午後の公演と みなとの話し合いと池辺のまとめ
「原爆と戦争展」午後 西澤愼氏の講演  2023.8.11
         (聞き書きと感想等 池辺幸惠 文責)


宝塚市在住(現在神戸市)の西澤愼氏(87歳)が満州引き揚げ体験と伯母の広島被爆体験を話されました。

証券会社勤務の父親が株式の統制で失業、満州進出のポスターを見て満州に渡り、現地招集され、敗戦となり母子で集団逃避行を繰り返し、冬が来ても日本から救援船は来ないので、栄養失調やチフス、凍死がたくさん出た。中国と米国の世話で帰国した。
「あの戦争はまだ続いていると思っている。あれだけ“満州は生命線”と煽っておいて棄民政策でわたしたちは捨てられた。補償もない。まだ終わってない!!!」「敵基地攻撃など政治家が平気で言う現在の状況を問いたい。体験者がいなくなるから、若い人に継承してほしい」と訴えた。


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原爆と戦争展 2023.8.11. 午後からの「話し合い」と 「感想」等

最初はマイクの調整が悪くてひびきすぎて大変聞き取りにくかった。録音も同様で話の半分も聞き取れない。しかし、戦争に関しては、一人一人に忘れられない記憶とドラマがあるのだな、そして隠されていた真実も出てくる!!!、とあらためて話し合うことの大切さを思い知りました。



● Mさん 87才
 国鉄に勤務しておられて広島で被曝したお父様の手記を読み上げてらした。8月6日の当日は、出勤してドアを開けた時に光がはじけた。けれど、執務室の遮光カーテンにさえぎられて全くなんともなかった。一瞬の光だけであとは音もなくしずかだった。それから、傷ついた人たちがたくさんそれぞれに悲惨な様子で歩いてきて、広島駅周辺の悲惨な様子を生々しく手記に書かれていた。そして原爆の後もできるだけ汽車を走らせようとなさった、そのご苦労の数々の一部をよみあげてくださった。



● Uさん 92才
  大阪の十三でで、B29が襲ってくる焼夷弾の下を走って逃げて母と手をつないで、トンネルの中にぎゅうぎゅうづめ。ところが、後、わたしの家だけ焼けてなかった。それから、親の実家の広島の南の呉市の山の上のおばあさんのところに疎開にいきました。 
 そして6日の朝、庭に出た時、ピカッと光って、耳がツンと鳴って、そして真っ白い雲が下からどんどん どんどんわいてきて、のびあがってきました、きのこ雲でした。火薬庫が爆発したとかデマが流れたりしたが、下の赤十字病院にどんどん負傷者が運ばれてきて大変だとわかった。わたしも叔母たちともっと南の方へと歩いて逃げた。敗戦のあと、大阪の女学校に復学しましたが、新聞をたたんだような教科書で、勉強よりなすやきゅうりやかぼちゃの食べ物ばかりつくってました。
 そして今、怖いですねぇ、新聞を開けると武器の字がたくさんあって、また戦争に向かおうてしているこのご時勢がとても怖いです。



● Pさん 87才(在日2世)  
  終戦ではなく敗戦である。8月15日は天皇の玉音放送(ポツダム宣言受諾)であって、9月2日に降伏署名をした。そして連合軍による国連憲章には日本はドイツ、イタリアとともに「敵国」条項がある。だのに日本政府はそれを認めてない。そして現在は戦争へと軍備も軍事費も拡大してすすんでいる。南の島はすべて軍島になってしまった。この戦争に向かう流れをどう総括するのか。
 そして、韓国の被爆者の方々への補償はある程度みとめられたらしいが、朝鮮人の被爆者には何ひとつなんの補償もない。朝鮮に対して、国としての謝罪も補償も何もないままです。 その上アメリカのプロパガンダそのままに国交断絶して、ロケットを日本をねらうミサイルだと偽って日本国民への脅しにつかっています。
  朝鮮、南朝鮮、中国、世界の流れを総轄して、あの侵略戦争の反省と謝罪と日本軍の戦争犯罪をしっかり明らかにして、日本軍慰安婦へも徴用工への個人補償も、きちんと今からでもはっきりさせて賠償すべきだと思います。

 8月15日は敗戦です。本当は9月2日の敗戦で終わったのです。そして敗戦を終戦だと言わないでほしい。



● Nさん. (女性) 80代
 私は神戸の大空襲も経験しています。戦争は、武器を作って売ってお金儲けしてる人たちがたくさんいるのですね。そういう人がいるかぎり、戦争は絶対になくなりません。でも、そういう人間がいることも、これまで知りませんでした。
 知らなくてもいいんじゃないかと思いながらも、いろいろ見せて貰ってびっくりしています。そういう無知なわたしがいます。
  でも一番たいせつなのは、憲法9条を守って戦争をしないということですね。憲法9条ってほんと宝ですよね。



● (女性) 60代
 わたしの父は中国に戦争に行きまして、それこそ軍人恩給もらうほど長いこといました。で帰ってから結婚して大阪大空襲にあいました。父は自転車に布団や荷物を積んで逃げてました。それから2回目の招集で、父は鳥取に行って砂丘で泳いでたそうですが、その時に広島のほうから、すごい雲が来たそうです、それが原子雲だったのです。で、同期で入隊した二人は広島に行かされて被曝して亡くなった。父はほんとうに愚かな戦争だったと言ってました。「日本は加害者だった、でも日本もひどいことをしてる。だからといって、原爆を落としたアメリカはひどい」と言ってました。
二度と戦争はない世の中になってほしいと言ってました。



● (女性) 80代
農家にいたんですが、2歳の頃だったんですが、畑の真ん中に穴を掘って、防空壕にしてたんですね。そこにおばさんに放り投げられて入れられた記憶があります。深い穴でトンネルになっていました。その記憶が残っています。



●(男性) 80代
玄関に防空壕を掘っていた、が警戒警報がなって空襲警報になったら、家族がみなその掘った穴の中にはいるんですね。 で、外をみたら焼夷弾が花火のようにふってきてました。飛行機が一機落ちてくるんですよ。で、操縦士は亡くなりましたがね、高射砲を打ってもB29には まったくあたらないんですよ、その鉛の塊がもいくつも落ちてきて、それはしょっちゅうあって危なかったです。


●. (女性)
わたしの母は、母が生まれる前に祖父が出征して中国に行って戦死しておりまして、母は父の顔も知らないんです。で、祖父は出征する時に弟さんに、俺になにかあったら嫁さんを頼むぞと、それで祖母は弟さんと再婚しました、で弟たちとは父親がちがうんです。
わたしの夫の父親は出征して生き残ってもどってきました、がこの祖父もわたしの祖父と同じ言をのこしまして、そういのを逆縁というのですか、それでいろいろあったみたいです。
 わたしの母親の母である祖母も、最初の夫の長男はロシアで死んだんですが、お墓は中は空でも立派なのが建てありました。その隣に祖父の墓もあるんですね。ところが、わたしの姉が言うには、「おばあちゃんはお風呂からでてきたら、いつもきれいにお化粧をするのよ」で聞いてみたら、その最初の夫と夢の中で会うから、きちんとお化粧しとくのです、って・・・兄弟が戦死した時に、残された妻はいろいろ辛い悲しい目にもあったのだなあ・・・と思いました。



● MIKIさん (在独の女性) 70代
平和教育はもちろん大切ですが、平和教育以上にまず日本人が一番すべきなのは、民主主義教育というか「人々が自分の意見を言う、そして、言う人を差別しない」 他人を容認することが重要だと思います。それが日本人には一番欠けていると思います。

 そして日本はストライキしないのがおかしいです。日本の若い子が「なんでこんな迷惑のかかることをするのか」とばかりいってましたが。日本はブラック企業だと言いながらも、ストライキもなにもしない。言ってる人は限定されてたり。 でも、ドイツはしょっちゅうやっています。ストライキをするから給料が上がるんです。労組の腐敗があるかもしれないが、
 今、必要なのはみんな自分たちの意見を素直に言う。そしてその素直に言ったことが、たとえ多少暴力的な言葉であったり差別的だったかもしれない、でもそれを容認する寛容性というのが、今日本には必要だと思います。

 それに日本はマナー警察みたいなことばかり。どこにいっても、ああしろこうしろとアナウンスしたり張り紙がたくさんあったり。もちろんマナーは大切ですけれど、それは個々人が自分ですべきことであって、人から強制されてやることではないと思います。マナーや習慣は自分が自然にやるもので、人から強制されてやることは指令を受けてすることでしょう。 
  でも、それでしつけができていない、とか日本は親の責任だという。
これもちょっとおかしいと思うんですよ。子どもは自由にのびのび育つ権利があります。もちろん、親の考えで育てていることもあるでしょうが、子どもはもっと多様性、選択の自由をもってていいとおもいます。
 ですから、自分の意見を言って、他人の意見を容認して深く考えることを
していったらいいと思います。日本に帰ってるといろいろ気になってたことです、どうもありがとうございました。

●(女性)
そうよね、小さい頃はしょっちゅう交通も停まってて、学校の授業も校長先生や教頭先生が来てしてくれてた。
ところが、若い子たち20代の子たちはストライキをしらないんですよ。でも、ストをしないと、お給料が上がらないですね。



● MIKIさん(在独の女性)
ドイツ在住ドイツは今値上げが激しいんで、今年ほんと強引に毎週でもストライキしています。でも、それぐらいやって、はじめて民主主義だと私は思うんですよね。

 ですから、ほんとストライキをしないのが悪いんですよ。でも、本当に日本は教育がそうなんですわ。たとえば、ドイツは戦争で徴用した人たちを一人一人に、国が確かめながら弁償してるんですよ。日本は、国自身がやり方を変えないと、どうにもならんですわ。



● 池辺幸惠
そうです、戦後、岸信介が副総理の時、総理を石橋湛山が短期間していました。民間の新聞記者もしていた石橋湛山はとてもまっとうな誠心誠意の良識のある方で、他の民族も尊重して植民地にはしないで、自由で互いに尊重し生かし合う貿易を、と経済にも明るかったです。あの時代に、侵略はしないで、日本人は頭脳と人間で、労働力と知性で地方分権で自立すれば、人も経済も活性化してゆく、という ほんものの新たな民主主義をと日本中を講演してまわっていて、とうとう倒れたのです。
 
 すると、副総理だった岸信介が総理になって アメリカの言う通りの独裁者になって”日米安全保障”ができたのです。それの反対に日本では若者も熱くなって日本で”最大の安保反対のデモ”が起きました。女学生も一人デモで亡くなりました。



● Mさん 在独女性 
松本清張さんが、日本の古代史を解明してゆく小説で、天皇が神武天皇からつながっているのはウソだろうと、いろいろ推理してあばいてゆく、そういう本がありましたよ。



●男性 (とても聞き取りにくくて・・・、)組合を作って労働者を守る活動をしてきたが・・・・・、今は、組合をつくっても腰砕けになる。すぐ第二組合ができて会社と手をつなぐので闘えないです。 これから戦争を無くするには実際にどうしたらいいか、それが問題だ。



●男性
 日本は戦争に負けることはない、なぜなら神風が吹くからだ。と言われ、日本人は疑いもせず信じ込んでいたようです。



●池辺幸惠 
 正力松太郎もCIAだったし、フィクサーの児玉誉士夫も日本の負け戦の戦争をウソついてまで勝てると煽って長引かせて儲けて、いろいろ裏で糸をひいてたと思いますね。ソ連が8月に参戦することは、ヤルタ会談ですでにきまってましたしね。

日本全国が、どれだけ空襲でやられたことか、わたしの郷里福山は8月8日に焼け野原になってしまいました。日本は300回以上!!!空襲されて、70の都市は焼け野原になり、一般市民はいのちも財産もなくしましたし、たとえ死んでも負傷して障害者になっても国はなんの賠償もしてくれません。



国民にはひたすら””受忍しろ””、とだけでなんの補償も賠償もないままです。でも、元上級将校たちにはいまでも孫にまで相当な年金をだしていますよ、戦争犯罪の最たる皇室も今も優雅なものです。 ですから亡くなった一般日本人約350万人は見捨てられたのです。そして日本軍は、侵略した朝鮮から中国大陸、そして南の島々の国々の住人たちをあわせて少なくとも2000万人以上も無惨に殺していたのでした。



現在も 2011.3.11ふくしま原発事故からの避難民しかり、自主避難者は見捨てられたままでなんの補償もありません。このたびのタンクに貯めてた放射能汚染水排出も、漁業組合のみなさんとの約束を破って勝手に流し始めました。こんな自分勝手な政治でいいわけないですね。



● 男性 87才
 最後に広島での重大な局面の話を少しだけ言わせてください。国鉄は比治山の南に鉄道官舎があった。わたしは小学生で、ずっと奥に疎開していて助かった。3年生以下は全く勉強していない。登校して訓示があり教練があり下校だった。国鉄の助役の父は柳井から広島に通勤していた。

🔸ここから父親の手記「20年の早春のある日、広島の区長が、国鉄の助役以上幹部たちに「重大発表がある。日本は重大局面な局面を迎えた。皆んなが動揺せぬように堅い決意を持って全員を引き締めてもらいたい。今日の会議のことは口外してはならぬ。」と言った。「全員一人として動揺しないようにするのが君たちの任務だ」と強い口調で叱るように唾を飛ばして言った。目はすわっていた。私も緊張した。」 (父の手記より)



この1945年3月の時点で上の連中は敗戦を知っていた。そして「今の世の中(手記の10数年前)は1%の所有を存続するため核兵器の保有を望む者がいる」と父は言ってました。80才で克明な手記を書き残しました。


●池辺幸惠
 その時分だけでなく、敗戦が濃くなると中央政府も軍部もなんとしても天皇のいのちを確保し 天皇制を維持することが命題だった。それは自分たちの自己防衛でもあった。わたしが思うには、その重大な局面の時に、天皇の命乞いと、何か!?! が、ひきかえにされたと思います。

 それは、天皇のいのちとその体制を助けるかわりに、この戦争がいつ、どういうかたちで終結するかの話がアメリカとついたのがその3月頃で、広島の国鉄の幹部たちには「動揺するな口外するな、しかし覚悟しておけ」になったのでしょう。ですからその密約の内容は分からないままでも、この日本の重大局面の会議の話も口外できなくても、つまり(広島は!!!、敗戦の覚悟でいろいろ用意をするように)との、覚悟を持つようにと言われたのでした。 でも、重大発表だと集められて覚悟させられた その一部の幹部たちにも、その中身は明かされなかったのです。

 

もちろん、日本の庶民も一兵卒も何も知らされないままに、ただただ神風を信じて日本は負けはしないと思いこまされたまま、負け続ける戦争に今さらに出征させられて南の海の藻屑になり、若者も煽られて特攻隊に志願して片道切符で犬死させられ、庶民は一年以上にわたって空襲に焼かれていのちも財産もをとられ、それでも最後の一人まで撃ちてし止まんとばかりに竹槍訓練をさせられ、家を燃やすなとバケツリレーをし、バケツをかかえたまま業火に焼かれ、家の簡易防空壕では家族もろとも蒸し焼きにされ、B29の空襲から必死で逃げ惑うばかりだったのです。それはまさに地獄絵図でした。



●その言えない何か、とは何だったのでしょうか?!?
  これもMさんがお父様から聞かれたそうですが、4月には比治山の裏に東京の本部からの中央直属の司令部が用意されたそうです。もし原爆が投下されてもここなら大丈夫なのです。このことで軍都広島は当初より原爆投下の予定地にされていたのだろうと十分推測できます。でも原爆はなかなか完成しませんでした。そして完成するまで空襲は無惨にもつづけられたのです。



-----------------------池辺のまとめ----------------------
 


●そして、ようやく7/16日ニューメキシコ州の砂漠での原爆実験がされた日に、ポツダムで連合国の会議があって、核実験の完成を聞いてみなは歓喜したそうです。そして7月26日ポツダム宣言がだされました。しかし日本政府はまだ連綿としたまま空襲はつづき模擬原爆もいくつか落とされました。

そして、とうとう1945年8月6日に広島に原爆は落とされたのです。というのも原爆を乗せた飛行機を撃たないようにとの指令も出ていたのです。そして”無条件降伏? ポツダム宣言受諾”というシナリオ通りになりました。ソ連も原爆投下後の敗戦後には参戦するとの密約がされていたのです。

 
この原爆投下の人体実験は、アメリカが戦後 原子力で世界の優位をたもつため威信を示すのに必要だったのです。アメリカ国民に秘密裡に20億ドルを注ぎ込み急がせて作った原爆が完成した! その成果を、全世界にアメリカ国民にも納得させるためにも、広島・長崎に原爆が落とすことが必要だったのです。そしてそれは当日約35万人はいたと推測される一般市民や召集されて前の晩から来ていた軍人たちが、無惨にも人体実験されて虫けらのように燃やされ犠牲になったのです。嗟!!!!!!!
 


そして、アメリカは、まもなく比治山頂にABCCの研究所を作って、生き残った被爆者たちに原爆が人体に及ぼす研究材料にしました。治療はせず、ただ裸にしていろいろ調べるだけの、まさに虫けらのごとくの扱いでした。死んだ被爆者は解剖され、その臓器も たくさんの一つ目の奇形児たちもホルマリン漬けにされて、今もアメリカに並んでいるそうです。

 アメリカはイエロージャップは人間じゃないの意識だったのでしょう。

かつて、日本が朝鮮人・中国・台湾人は野蛮で遅れてる下等な民族だから侵略し殺して奪って当然だと、日本人みなが国にマインドコントロールされていたように。アメリカは、日本人を有色の野蛮人だと見下していたから、あまたの空襲も原爆までも落として、日本を焼け野原にし一般市民の無差別大量虐殺ができたのでしょう。しかし、それは戦争犯罪の最たるものでした!!!



●しかし、池辺の思うに、いかな理由があろうとも、この原爆と異常にたくさんの空襲による、アメリカのこの残酷な一般市民大量殺戮の戦争犯罪を、日本の国自身がアメリカを糾弾し、検証して裁くことをしないままきていますが、これでいいのでしょうか? そもそもが、かつて朝鮮・中国をひどく貶めて、侵略で始まったあの大戦争は一体なんだったのでしょうか。



八紘一宇・五族共和を大義名分にして、徴兵されて兵隊になって、殺し殺され、天皇のためにと犠牲となった一般国民にとってあの戦争はどうだったのでしょうか・・・?! 国民自らが裁判をして戦争を問い検証し断罪をしないままできている日本の戦後の経緯は、戦争の芯からの反省もないままです。これでは民主主義になったとはとてもいえないでしょう。 

あの大戦争に対して自ら裁判を起こし、その経緯と検証と証言、多大な犠牲の追求の確認や認定・補償も反省の総括もなにもされていないまま、表明もされないままです。
 結局戦勝国の連合国による勝者の東京裁判だけでよしとするのですか? だから、結局、朝鮮・中国・アジアの国々・島々への日本軍の残酷な大量殺戮への謝罪も補償も明らかにされないままできています。日本の国が、長きにわたる侵略戦争の総括の裁判もしないままで、まいど1937年の河野洋平官房長官の談話、そして1995年8月15日の村山富市首相の謝罪の談話だけで済ませれるものでは決してないでしょうに?!? 恥知らずのまま居直り強盗になっているアメリカの傀儡 岸田軍事独裁自民党政権です。


●結局、あの大戦争を引き起こした自らの検証をしないままで、連合国による東京裁判だけですませている日本政府の態度では、真の反省がなされたとは、とうてい言えないでしょう。ですから、自らを断罪する気持ちのないまま、つまり戦争への反省も検証も裁判もないままですから、結局侵略戦争の意識はそのままに、戦後に戦前の天皇宗主からアメリカ宗主へと移し替えられて、同様にマインドコントロールされたままアメリカの占領国のままできているといえる現在の日本です。

 

それは、戦後の日本が、自民党政治が憲法を遵守しないで、平和憲法を貶めたまま数々の戦争立法をつくり、現在では月2回の日米合同委員会というアメリカ軍の指令のままにアメリカの言うなりの政治を行なってきていることからわかります。 日本の領海も領空も本土すら、すべてアメリカ軍に占領されている日本は、いまだにアメリカの占領国であることは明白です!!!



まして、アジアの国々にとっても、かつての西欧による植民地支配の検証についての裁判もないままではないでしょうか? いいえ、むしろ、西欧と連合軍として日本と戦ったアジアの国々は、日本がボロボロに負けたことで自信と勢いがついて、それまで植民地にされていたことへの猛反発から日本の敗戦を契機に自分たちの独立へと向けての戦いがはじまったといえましょう。日本がアジアの開放のために戦ったとは、大間違い!!! 負けた日本軍は西欧に戻すべくして撤退したのです。ですから決して日本がアジアの植民地を開放したわけではなかったのです。

 

●だから過去の侵略戦争の反省のないままで、戦後78年たった今、再び あの酷い軍国主義が息を吹き返してきているのが、日本の現状といえましょう。戦前のガラパゴスのままの意識やゾンビたちがいまだに政治のトップに君臨したままの日本なのです。これだから日本はいつまでたっても、アメリカに占領されたままだと言えるでしょう。
  


そして、隣国といえば日清戦争後の1895年に植民地にした台湾は、1945年までの50年間ずっと日本の植民地で大変な目にあってきた。そして、朝鮮も韓国も明治以来搾取されつづけてとうとう1910年には日韓強制併合で植民地にされた。また1923年の関東大震災では、10万5千人の死者を出しながら官憲のデマにより在郷軍人と一般市民が自警団を作って、朝鮮人等を数千人も集団殺戮をしてまわった事実を政府側はいまだに認めようとしない。



 ●そして1931年9月18日には、関東軍の自作自演の柳条湖事件を起こして満州事変とし、翌年満州国を建国した。日本政府は満州は日本の生命線だとして、満州に向けて各県に移民を割り当て日本から移民を大量に送り込んだ。それも朝鮮半島の農民は日本に農地をだまされて取り上げられて、満州や日本に仕事を求めていくしかなかったのです。それが徴用工や慰安婦問題へとなってゆくのです。そして1937年7月7日には盧溝橋事件を起こして日中戦争が始まった。そして日本は中国への戦争からアジア全土とインドや南の島々の国々にも戦争を拡大していった。

そして、とうとう1941年12.8.の真珠湾攻撃から半年後、南の島々は次々に玉砕しながらも、アジアでは残酷な侵略戦争と捕虜たちへの酷い仕打ち、敗戦につぐ敗戦なのに、国民には勝っているとウソをつきつづけ、とうとうアメリカに完膚無きまで焼き尽くされ原爆も投下されて敗戦になった。


この戦争の検証とそれに至るまでの真実を自らで明らかにし断罪する裁判を、日本はいつになったら自ら裁くことができるのでしょうか。
 それが確かになされないままだから、只今”にせものの積極的平和” が喧伝され、アメリカのいうなりに再び「武力による平和?!?」= 戦争へと向かっている まさに危険な崖っぷちにいる日本なのです。
(文責 池辺幸惠)
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